悩みから解放され幸せになる方法、に、かかる、費用の問題
悩みをまき散らしたり、寂しがったり、弱ったりしていると、
それらはススッと近づいてくる。
それが必要な人もいる。助けになる場合もあるだろう。人生の出会いとなり、幸せを見つけるかもしれない。だから、いいよ。
でも、システムに参加するのに万単位でお金がかかるのはどうなの。安いモンなの?
学び、語りあい、しくじり、恥をかき、体験し、すこしだけ成長する、というのは
ひとつのシステムの中で、おかねをとって、やっていいの?
いいんだろうな。習い事と一緒だものね。
料理教室でハンバーグの作り方を習うのと、
悩み事を解決して幸せになるのは、おなじ「サービスを買うこと」なんだろうかね。
家庭に料理を教わる場がないから料理教室があり
仲間と語り合う場がないから悩み解決メソッドがあるんだろう。
でも、その幸せ、わけてもらうには、君と友達になるには、おかねがかかるんだね。
僕の幸せは、少しだし、ゆらぐし、システム化されていないから、
役に立たないかもしれないけど、わけてあげるよ。
でも、先に友達にならなきゃいけないんだ。それって哀しいことかな?
ハレの日、取扱い注意
用事で高円寺に行くことになりどうしても見たかった「素人の乱」の通りを歩いた。
(お出かけを極端にしないので、これは、僕にとっては、よほどのことです。)
驚いた!!夜、20時くらいとはいえ、閉まった店の前に、フリマっぽい人たちが、店を並べているのだ。八百屋さんの店頭には生ビール売ってるし!!ええええええええええ?
営業許可とかそういう単語がぐるぐる回り、「ささささ、さすが高円寺・・・アナーキーだ・・・!?」しかし、いくらなんでも、こりゃすごすぎないか?
・・・と、思ったら、「今日は、昼間、おまつりだったんですよ」ということが判明。
ああ、おどろいたわい。
しかし、重要なのは「ここなら、ありかねん!」と思わせるだけの場でありました、ということ。
若い人が多いし、商店街もまだまだ元気なのです。都会だし。なるほど「貧乏人の逆襲」に書いてあるとおり、「世代交代、活性化が難しい商店」と「勢いのある若い人たち」の用事が一致したのが分かった気がする。
でも、もし「最初の勘違いの通り」なのだったとしたら、関わらなければ!という思いが湧いて、今頃大変だったに違いない。最先端には違いないのだ。
世の中の、たくさんの試みの中の一つの、最先端。僕らまだ誰もまだ見たことのない世界。
あと、
「あ、毎日こうだったらいいかも」という思いと拮抗して
「毎日これじゃぁ、おもしろくないのかなぁ」とも思った。
ゆらぐゆらぐ。
真ん中が一番いい。
中間地点、という言葉を聞いた。
子育ての世界の先生からのお話。ようするに「たまりば」「井戸端」と言っていた「なんでもない場所」のことだろう。
その方は「寺がその機能を果たしていた」とおっしゃった。なるほど。
いまや、店は敷地ぎりぎりまで店であり、
空き地はすぐに囲われ、あるいは空き地でいる時間がないほどすぐに何かが建つ。
すべては消費のために高度にブラッシュアップされ、隙間がなくなる。
子どもができたら
子どもが騒ぐなら
高齢になったら
受傷したら
それぞれにまた消費するプログラムが速やかに提示される。
たとえばお母さんたちのたまり場がない。
子どもがDSで遊べる場所をマクドナルドは速やかに提供できる。
いっぽう、NPOや行政の子育て支援策は目立たなかったり制約があったりするもんで、当然、なかなか苦戦する。そりゃかなわないわ。
高円寺の素人の乱の松本さんは、ちょっと町を歩くだけで金がかかるフザケンナ、と怒っていた。路上を解放しよう、自分たちで遊ぼう、という。うんうん。
インディアンの専門家の北山さんは、プレーパークにもっとお年寄りが来たらもっといいのに、といった。うんうん。
まちづくりの反省は感じられる。
たとえばだけど、特定非営利活動の分野。(短く編集済)
一 保健医療、福祉の増進
二 社会教育の推進
三 まちづくりの推進
四 文化・芸術、スポーツの振興
五 環境保全
六 災害救助
七 地域安全
八 人権擁護、平和の推進
九 国際協力
十 男女共同参画社会の促進
十一 子どもの健全育成
十二 情報化社会の発展
十三 科学技術の振興を
十四 経済活動の活性化
十五 職業能力の開発、雇用機会の拡充
十六 消費者の保護
こんな風に分けてきたから、いかんのじゃないですか。
今日は古民家で、老若男女、子どももいっぱいいて、暑くて、いい空間だった。あんな場所があれば、「子育て支援」も「地域安全」も一緒に考えられるんじゃないか。
っていうか、
一緒に考えなきゃ「いけない」んじゃないのか?????
いやぁ、つくづく思うけど、一生懸命勉強したNPOに、僕はまさに洗脳されていて、いま、それがとけかかっているんだろうな。ほんと、気づくと愕然とすることばかり。
あ、今日の先生はこの方だった。
http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-2590.htm
豊かさ=「明るくてぴかぴかなこと」ではない。
たとえばコンビニに、いかにもスタッフが作ってプリントした感じのPOPがセロテープで貼ってあったりすると、すごく違和感がある。
しかもそれらのPOP、書体がみんな一緒。「なんとか太ゴシック」みたいな。
店長が命令され、バイトがそれを受け、ちゃちゃっと作ってあげたりするのかしら。それともバイトなんかだれも頼まれてくれなくて、店長がワードとにらめっこして夜なべするのかな。あ、そっちかも。
莫大なお金を使って、全国に縄張りがあって、イメージを統一し、床も照明も、ぴかぴかにしてサービスしていても、末端の末端、店の裏側には、のんびりした個人商店の何倍も「まずしい」感じがしてしまう。
決められていないことは全く手つかずになる。想像力の働く余地はない。ほんの少しの隙間が、えらく目立つ欠点になる。お客から指摘が出れば、ルールが一行増える。
「○○ゴシックを多用せず、また、セロテープはキレイに目立たないよう貼ること」とか。
商店街ディズニーランド化計画
マスコミをやたら敵視し「マスゴミが」とか声高に書き連ねる人たちは、「なんか正体が見えない恐ろしいモノ=悪」と考えているのだろうか。
名前をつけるとわかりやすいけど、正体はよけい分かりづらくなる。考えなくなる。
広告やテレビの積み重ねてきた膨大なエネルギーは、否定する必要はなくて、再構築して無限の使いみちができるモノだと思う。
きっかけは不況でも、まちにテレビや広告やデザインの専門家が入ってくるようになるのは楽しいことだ。いままでは、全く省みられなかった場所に、魔法(しかも健全な 笑)がかかるとおもうと、楽しい。
消費と出会い
うっかり生活していると、テレビとネットと雑誌あたりからの情報で、いつのまにかほしいものだらけになっている。買い物している時間でなくても、これも消費活動だ。
買うにせよ、違う出会い方をするにせよ、何かと出会うことには違いない。「あなたが何を買うかであなたは作られる」とか言われるとへこむけど、よく考えればその通り。
食べるものは100%買っているし。そう考えると不自然な生活だ。
「買った方が安い」というのも凄い言葉。
「自分で作った方が安上がり」なものって、すごく少なくなっているのかも。
大事なのは、出会ったモノと「関わる力・関係を作る力」なのか。
「作り手が見える○○」が喜ばれるのは、心の中で皆気づいてるからで。
・・・あ、だから、それを広告の専門家たちに活用されちゃってるわけか。
ううむ、さすがだ。ぎゃふん、といわされた。
他人の正義をスルーしない
政党も宗教もNGOも会社も大差ない。
だれでも自分を肯定したい。
でも、自分の主義主張だと思っていることは、選択の傾向がそうだったわけで。
ある種のグループにいればそれは安心して強化されるだろう。「われわれの正義」。
その中にいれば、正しさはブラッシュアップされるだろう。
価値観の違い・多様性を認め合う、とか言っても、たとえば・・・原発に反対する人たちは、推進派の人たちをやはり悪だと思うし、思わないとしたら、「彼らもまた犠牲者である」的な理解をしてるように思う。
そしてそれは、逆の立場なら全くおなじように思われるのだ。
さらには、「それは知らないだけだ。知らないことは、罪になることもある」くらいの勢いで迫ってきて、どうしたらいいのか本気で困ることもある。
そこから先はデータの応酬になる。議論はおもしろくもなんともない。
最近は特にひどいように思う。
「牛乳パックリサイクルしてる」「それって意味ないらしいよ」
「エコカー買った」「開発費が100倍かかってるんだぜ」
「地球は温暖化している」「人間のせいじゃないんだぜ?」
他人の正しいと信じることにどういう対応をすべきか
・・・ってけっこう大人じゃんおれ。
スルーする力がほしいわけじゃない。
「自分はこう思う。なぜなら、僕にとって、こうだからだ。」と説明できたらカッコイイかな??